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水戸地方裁判所 昭和31年(行)23号 判決 1962年8月16日

原告 川崎光男

被告 茨城県知事

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

原告訴訟代理人は「被告が茨城県那珂郡那珂町(元菅谷町)字京塚五千三百二十八番の三、畑一町四反六畝七歩につき買収期日を昭和二十二年七月二日と定めてなした買収処分並びに右土地について売渡期日を右同日と定めて訴外京塚開拓農業協同組合に対してなした売渡処分がいずれも無効であることを確認する、訴訟費用は被告の負担とする」旨の判決を求め、

被告訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。

第二、当事者の主張

一、原告の請求原因

(一)、茨城県那珂郡那珂町(元菅谷町)字京塚五千三百二十八番の三、畑一町四反六畝七歩(以下本件土地と略称する。)は、もと原告の父訴外川崎藤四郎の所有であつたが、昭和二十一年一月十日原告が藤四郎から右土地の贈与を受け所有権を取得し同月二十六日その旨移転登記手続をなした。

菅谷町農地委員会は本件土地について昭和二十二年六月一日自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第三条第一項第一号の規定を適用し、買収計画を樹て、縦覧期間を同月一日より同月十一日まで買収期日を同年七月二日と定めて公告し、被告は右買収計画につき茨城県農地委員会の承認を経て昭和二十二年七月二日付買収令書を発行した。

(二)、次いで菅谷町農地委員会は右土地について同法第十六条の規定により売渡計画を樹て、売渡期日を昭和二十二年七月二日と定めて公告し、被告は茨城県農地委員会の承認を経て、昭和二十三年七月一日付売渡通知書により訴外京塚開拓農業協同組合に売渡処分した。

(三)、しかしながら本件買収処分には次のような明白かつ重大な瑕疵があるので無効であり、従つて買収処分が有効なることを前提としてなされた本件売渡処分も無効である。

(1)、被告は本件買収令書を原告に交付していない。

本件買収令書裏面には「昭和二十二年十二月二十日付買収令書を交付したことを認証する」旨記載され、その下に茨城県知事の押印があるが、当時原告は未成年であつてこれを受領し得ず、又親権者たる父母においても交付を受けた事実はないので自創法第九条に違反している。

(2)、本件土地は買収当時山林ないし原野であつて小作農地ではなかつたものである。土地台帳の上では畑となつているも当時の現況は山林、原野であつたのであるから、これを自創法第三条第一項第一号に該当する小作農地として買収したのは違法である。

(四)、よつて本件買収処分並びに売渡処分の無効確認を求める。

二、被告の答弁

(一)、原告の請求原因一の(一)(二)の事実は認める。

(二)、同上(三)の(1)の事実中買収令書が交付されていないとの点は否認する。本件買収令書は昭和二十三年十月二十六日頃交付した。買収令書交付の方法は茨城県知事が買収令書を菅谷町農地委員会にその作成を代行させ、同委員会がこれを県農地課に送付し、更に県農地課から磯浜町農地委員会に送付し、同委員会において原告の父川崎藤四郎に交付したものである。

(三)、同上(三)の(2)の事実中、本件土地が土地台帳上畑となつていたことは認めるもその余の事実は否認する。本件土地は昭和十六年以前からその全部が農地であつた。その耕作者は昭和十六年頃は不明であるが、昭和十七、八年頃より終戦当時まで第三十七部隊の農耕隊の兵士が原告先代川崎藤四郎より借り受けて耕作していた。そして終戦後は昭和二十年十月訴外松崎亀太郎が借受本人となり、他の借受人の代理資格で本件土地を借り受けた。その後昭和二十一年八月頃帰農者同盟ができ、同年十月一日付で京塚開拓帰農組合を作りその世話で組合員である松崎、小室、会沢、大部、前野、大川、斎藤、鈴木、遠山等が本件土地を含むもと原告の父川崎藤四郎所有の京塚所在の一連の土地を借りていたのである。その後同組合は昭和二十四年茨城県知事の認可を得て京塚開拓農業協同組合となつた。本件土地は荒れてはいたが既耕地であり本件買収計画樹立当時小作農地であつたものである。

仮に本件土地の一部に未墾地の部分があつたとしても、本件土地の大部分が農地であれば買収処分は無効とはならない。

と述べた。

第三、証拠関係<省略>

理由

一、原告の請求原因一の(一)(二)の事実は当事者間に争いがない。

二、そこで原告主張の本件買収処分の各違法事由の有無につき順次判断する。

(一)、本件買収令書の交付があつたかどうかの点について。

本件買収処分がなされた当時原告が未成年者であつたことは当事者間に争いのないところであるから、本件買収令書は原告の法定代理人に交付するのでなければ、その交付をもつて原告に対抗できないと解すべきところ、証人雨谷彰の証言により真正に成立したと認められる乙第六号証の一、二(買収令書送達簿昭和三十一年(行)第二一号事件の乙第七号証の一、二と同一)、同証人および鈴木正の証言を綜合すると、本件買収計画が樹立された当時は原告は原告の肩書住所において父訴外川崎藤四郎と同居していたものであるが、昭和二十三年十月二十六日頃当時磯浜町農地委員会の職員であつた訴外雨谷彰が本件買収令書を原告の右住所に持参し原告の家人(母親らしい人)に手渡したこと、そして本件買収の対価千五百四十四円十六銭(内千円は証券)は日本勧業銀行水戸支店から昭和二十六年一月二十七日本件買収令書を持参した者に支払われ、右対価の受領名義人たる原告名下に押印されてある印影が原告の母はつの印鑑の印影と同一であること(この点は当事者間に争いがない)が認められるので、右認定の事実と本件弁論の全趣旨を綜合すると、雨谷彰が本件買収令書を手渡した相手方が原告の母親はつであつたと断定すべき証拠はないが、母親でなかつたとすれば原告の両親はその当時本件買収令書を家人を通じて受領し、その内容を知つたものと推認するのが相当である。右認定に牴触する証人川崎英次郎、同川崎藤四郎の各証言は信用できないし、その他右認定を覆えすに足りる証拠はない。

そうすると、本件買収令書は適法に原告に交付されたものというべきであるからこの点に関する原告の主張は採用できない。

(二)、本件買収当時本件土地が小作農地であつたかどうかの点について。

(1)、いずれも成立に争いのない乙第二号証(小作料受領証)、同第九号証、証人平野重満の証言により真正に成立したと認められる同第三号証(小作料受領証昭和三十一年(行)第二一号事件の乙第四号証と同一)、証人平野重満、同松崎亀太郎、同遠山一郎の各証言並に本件検証の結果を綜合すると、本件土地およびこれと一連の元川崎藤四郎の所有地であつた京塚所在の土地は、昭和十九年頃から東部第三十七部隊の自治班が食糧確保のため荒地を開墾して農耕に従事し、その相当な部分を耕作していたが終戦とともに引揚げ空閑地となつた。そこで終戦後の生活難を打開するため、当時の菅谷町々長訴外平野重満が右土地に入植者を入れ農耕をさせるのが適当と考え、昭和二十年九月頃右土地の所有者たる川崎藤四郎と種々交渉した結果、京塚開拓帰農組合(後に京塚開拓農業協同組合と改組)の組合員たる訴外松崎亀太郎、小室とめ、会沢実、大部俊郎、前野菊重、大川みね、斉藤貞子、鈴木タマ、遠山一郎らが賃借することとなり、右組合員は賃借する土地の範囲を協定し、既にそのときまで開墾された農地には農作物を作り、一部未墾の土地は開墾して農耕に従事したこと、そして本件土地は主として松崎亀太郎、小室とめ、遠山一郎、大部俊郎らが耕作することとなつたことが認められ、右認定に牴触する証人川崎藤四郎の証言は信用できず、その他右認定を覆えすに足りる証拠はない。そうすると右松崎亀太郎らは本件土地に対する賃貸借をもつて川崎藤四郎から昭和二十一年一月十日本件土地の贈与を受けその所有権を取得した原告に対し対抗できることは農地調整法第八条の規定上明らかである。

(2)、つぎに本件土地につき買収計画が樹立された昭和二十二年六月一日当時の本件土地の現況について考えるに、本件訴の提起されたのは昭和三十一年十一月六日で既に九年以上を経過し、食糧事情経済事情は買収計画が樹立された当時に比し著しく好転したことは顕著な事実であるし、本件土地の現況は買収計画樹立当時の現況に比し相当変化していることが窺われるので、買収計画樹立当時の状況を精確に知ることは極めて困難ではあるけれども、証人益子義介、同平野重満、同松崎亀太郎、同遠山一郎の各証言および本件検証の結果を綜合すると、松崎亀太郎、小室とめ、遠山一郎、大部俊郎らが本件土地を前記認定の経過の下に賃借した後は、引続き未墾地の部分の開墾を続け、耕作を続け、本件買収計画樹立当時は本件土地のうち西南方の僅少部分が草が生い茂り未墾地の状態にあつたが、その殆んどが農地であつたことが推認され、右認定に牴触する証人磯崎郡昌(一、二回)、川崎藤四郎、川崎英次郎の各証言は信用できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

もつとも、本件検証の結果によると、現在本件土地の一部には訴外会沢実の家屋宅地があることが認められるけれども買収計画当時右家屋が存在し宅地化されていた事実を認むべき証拠はなく、却つて前記証人遠山一郎の証言によると、右会沢は本件土地の売渡を受けてから家屋を建築し宅地としたものであることが認められるので、右の事実は何ら右認定の妨げとなるものではない。

そうすると、本件買収計画樹立当時本件土地は殆んど大部分が農地であり、そのごく一部が未墾地であつたのであるから、これを全部農地として買収したことは開墾されていない部分については違法であるけれども、その違法は右認定の状況においては取消し得べき瑕疵にとどまり無効たる瑕疵とは認められないのでこの点に関する原告の主張は採用できない。

三、そして原告が本件買収計画樹立当時東茨城郡大洗町磯浜町に居住して不在地主であつたことは前認定のとおりであるから、被告が本件土地を自創法第三条第一項第一号に該当するとしてなした本件買収処分は一部取消し得べき瑕疵はあるけれども、無効原因となる瑕疵があるとはいえないので、本件買収処分が無効であるとの原告の主張は理由はなく、従つて本件買収処分が無効であることを前提とする本件売渡処分の無効の主張の理由のないことも明らかである。

四、叙上の次第で、原告の本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 和田邦康 諸富吉嗣 伊藤邦晴)

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